国交省「原状回復ガイドライン」を分かりやすく解説|借主が知るべき負担ルール

退去費用の請求額に納得できない、あるいは何を払うべきか分からない、という相談は2024年度に13,312件寄せられています(国民生活センター「賃貸住宅の原状回復トラブル」、PIO-NETに登録された相談件数)。

「何を、誰が、いくら負担するか」を考えるときの基準になるのが、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」です。近時の裁判例や実務を踏まえてまとめられた重要な資料ですが、原文はPDFで173ページ(冊子のページ番号は169まで)あるため、ここでは具体例を交えながら実務的に使える形で解説します。

インデックスの付いた厚い書類の束と、ペン、部屋の鍵が置かれたデスク

まず押さえる3つの考え方

原文を読む前に、次の3つを押さえると見当がつけやすくなります。いずれも、契約に有効な特約がない場合の一般原則です。

  1. 普通に住んでいてついた傷みは、貸主が負担する(通常損耗・経年劣化)
  2. 不注意や手入れ不足でつけた損傷は、借主が負担する(故意・過失・善管注意義務違反)
  3. 借主負担になっても、経過年数を考慮する部位では、設備などの経過年数の分だけ金額は下がる(経過年数の考慮)
負担を分ける3つの問い 1 普通に住んでいてついた傷みか 家具の設置跡、日焼けの変色、電気ヤケ → 貸主の負担 2 不注意や手入れ不足でつけたか 結露を放置したカビ、ヤニ、ペットの傷 → 借主の負担 3 設備が何年経っているか 対象の部位なら、経過年数の分だけ金額は下がる → クロスなら6年で残存価値1円
契約に有効な特約がない場合の一般原則。迷ったら1と2の順に当てはめ、借主負担と判断できたら3で金額を調整する。畳表やフローリングの部分補修など、3が当てはまらない項目もある。

迷いやすいのは2番目の線引きです。「汚したかどうか」ではなく、普通に使っていてもそうなったかで分けます。日光でクロスが変色したのは避けようがないので貸主、結露を拭かずにカビを広げたのは手入れの問題なので借主、という具合です。

早わかり表

契約に有効な特約がない場合の、一般的な整理です。

よくある事象負担理由
家具を置いた床のへこみ・設置跡貸主通常の使用で必ず生じる
日光によるクロス・畳の変色貸主避けようがない自然現象
テレビ・冷蔵庫の裏の黒ずみ(電気ヤケ)貸主通常の使用に伴うもの
画鋲・ピンの穴(下地ボードの張替えが不要な程度)貸主通常の生活で想定される
次の入居者のためのハウスクリーニング貸主通常の清掃をしていれば
結露を放置して広げたカビ・シミ借主手入れを怠った結果
タバコのヤニ・臭い借主通常の使用を超える
引越し作業でつけた引っかき傷借主不注意による
ペットがつけた傷・臭い借主通常の使用を超える
鍵の紛失による交換借主経過年数も考慮されない

ガイドラインとは何か

正式名称と経緯

正式名称は「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」。当時の建設省(現・国土交通省)が財団法人不動産適正取引推進機構に委託した調査の中で、調査委員会が1998年3月に取りまとめて公表し、2004年と2011年に改訂されています。

策定の背景には、賃貸住宅の退去時に敷金の返還をめぐるトラブルが増加していたことがあります。ガイドラインは、こうしたトラブルを未然に防ぐために、費用負担のあり方についての一般的な基準を示したものです。

出典: 国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」(2011年8月)

法的拘束力について

ガイドライン自体に法的拘束力はありません。原文によれば、近時の裁判例や取引等の実務を考慮して、現時点で妥当と考えられる一般的な基準としてまとめられたものです。そのうえで原文自身が、使用を強制するものではなく、原状回復の内容は契約内容や物件の使用状況に応じて個別に判断されるものだと位置づけています。

2020年民法改正との関係

2020年4月施行の改正民法により、原状回復に関するルールが民法の条文に明記されました。改正民法第621条を整理します。

賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。

この条文により、「通常損耗と経年劣化は借主の原状回復義務に含まれない」というガイドラインの中心となる考え方が、民法の条文としても示されました。ただし法律になったのは条文の内容であり、ガイドライン自体に法的拘束力が生じたわけではありません。

東京都の独自ガイドライン

東京都は「賃貸住宅トラブル防止ガイドライン」を独自に策定しています。都内の居住用賃貸住宅を宅地建物取引業者が媒介・代理する新規契約では、退去時の費用負担などを書面で説明することが条例(東京における住宅の賃貸借に係る紛争の防止に関する条例)で義務づけられています。店舗・事務所などの事業用物件と、更新契約は対象外です。

国交省ガイドラインが費用負担の考え方を示す一般的な基準であるのに対し、東京都の仕組みは、その説明の手続きを条例で義務づけている点に特徴があります。

3つの核心原則

ガイドラインの内容は膨大ですが、核心は3つの原則に集約されます。

原則1: 通常損耗・経年劣化は貸主負担

普通に住んでいて自然に生じる傷みや汚れは、家賃に含まれているという考え方です。年月が経てば壁紙は色あせ、フローリングには細かな傷がつきます。こうした変化は通常損耗・経年劣化であり、契約に有効な特約がない限り、借主が修繕費を負担する必要はありません。

原則2: 故意・過失・善管注意義務違反は借主負担

通常の使用を超える損傷は、借主が修繕費を負担します。タバコのヤニで壁紙が変色した、ペットが柱を引っかいた、水漏れを放置してカビが広がった。これらは借主の行為に起因する損傷です。

「善管注意義務」とは、借りている物を社会通念上必要とされる程度の注意をもって管理する義務のことです。結露を放置してカビを発生させた場合や、水漏れに気づいていながら管理会社に報告しなかった場合などが善管注意義務違反に該当します。

原則3: 経過年数に応じて借主の負担割合は下がる

借主の過失で修繕が必要になった場合でも、クロスや設備のように経過年数を考慮する部位では、経年劣化分を差し引いた残存価値に応じて負担すればよいとされています。年数が経つほど負担は軽くなりますが、畳表やフローリングの部分補修など、経過年数を考慮しない項目もあります。具体的な費用の目安は原状回復の費用相場ガイドを参照してください。

原文は損耗を4つに区分している

3つの原則を実際の事象に当てはめるとき、原文は損耗を4つの記号で区分しています。見積書の妥当性を判断するときに、この区分に当てはめて考えると迷いが減ります。

区分どういうものか負担
A通常の住まい方・使い方をしていても発生するもの(経年変化・通常損耗)貸主
A(+G)Aに加えて、建物の価値を増やす修繕(古い設備を最新のものに替える、新築同様にするクリーニング等)貸主
B住まい方・使い方次第で発生したりしなかったりするもの(故意・過失・善管注意義務違反)借主
A(+B)通常の住まい方でも発生するが、その後の手入れが悪く損耗が発生・拡大したもの借主

判断が分かれやすいのが A(+B) です。原文は、結露は建物の構造上の問題であることが多いとしつつ、結露に気づいていながら貸主に知らせず、拭き取りなどの手入れを怠って壁などを腐食させた場合は、通常の使用を超えると判断されることが多いとしています。結露が起きたこと自体ではなく、その後の通知と手入れ、損害がどこまで広がったかを確認するのがこの区分の要点で、当サイトが個別記事で繰り返し扱っている論点の根拠もここにあります。

A と A(+G) の違いも押さえておきます。通常損耗の修繕義務が借主に無い以上、それを上回る価値を生む工事の義務はなおさら無い、というのが原文の考え方です。「どうせ替えるならグレードの高いものに」という提案が出たとき、差額を借主に回せない理由がこれです。

なお原文は、この区分をあくまで一般的な事例の想定としており、Aに区分されるものでも損耗の程度によっては実体上Bに近いと判断されることがあると明記しています。区分は出発点であって、最終的には損耗の程度と契約内容で個別に判断されます。

具体例で見る貸主負担と借主負担

貸主が負担すべきもの(通常損耗・経年劣化)

契約に有効な特約がない場合の一般的な整理です。以下の2つの表も同じ前提です。

項目理由
壁紙の日焼け・変色日照による自然な変化
画鋲・ピン穴(下地ボードの張替えが不要な程度)通常の生活で発生する範囲
家具の設置による床のへこみ通常の使用による
テレビ・冷蔵庫の背面の電気ヤケ通常の使用で避けられない
壁に貼ったポスター等の跡通常の使用の範囲
網戸の張替え(破損なし)経年劣化
エアコン内部の汚れ(通常使用)経年劣化
鍵交換(紛失なし)入居者入れ替えに伴う管理上の措置
畳の日焼け自然な変化
浴槽・風呂釜などの取替え(破損はないが、次の入居者確保のため)設備の更新にあたる
フローリングのワックスがけ通常の生活で必ず行うとまでは言えず、維持管理の意味合いが強い

借主が負担すべきもの(故意・過失・善管注意義務違反)

項目理由
タバコのヤニによる壁紙の変色・臭い通常の使用を超える
ペットによる柱・壁・床の傷通常の使用を超える
引越し作業で付けた傷過失による損傷
結露を放置して発生したカビ善管注意義務違反
重量物をかけるための釘穴・ネジ穴(下地ボードの張替えが必要な程度)通常の使用を超える
落書き故意による損傷
飲み物をこぼしてできたシミ(放置)善管注意義務違反
鍵の紛失過失
台所の油汚れの蓄積(清掃を怠った結果)善管注意義務違反
浴室・トイレ・洗面台の水垢やカビ(清掃・手入れを怠った結果、汚損が生じた場合)善管注意義務違反

負担区分を部位別に見ると、同じ場所でも原因によって扱いが変わります。ガイドラインの整理では、A(借主の通常使用・経年変化)は貸主負担、B(借主の故意・過失・善管注意義務違反)は借主負担が基本です(契約に有効な特約がない場合)。借主負担になる場合でも、クロスや設備のように経過年数を考慮する項目があります。

部位A: 通常損耗・経年劣化(貸主負担)B: 故意・過失・善管注意義務違反(借主負担)
壁紙クロス日焼け、電気ヤケ、下地ボードの張替えが不要な画鋲穴タバコのヤニ、落書き、結露放置によるカビ
床・フローリング家具の設置跡、日照による色落ち、ワックスがけ引越し作業の傷、飲み物のシミ放置、ペット傷
畳日焼け、自然な変色タバコの焦げ跡、飲みこぼしのシミ、破損
襖・建具日焼け、経年による建付け不良破れ、落書き、通常使用を超える穴
設備経年による故障、通常使用による内部汚れ誤使用による破損、清掃不良による油汚れの固着
鍵入居者入れ替えに伴う交換紛失、不適切な使用による破損での交換
ハウスクリーニング日常清掃後に残る通常の汚れ清掃を怠った油汚れ・カビ

なお、有効なクリーニング特約などによる費用負担は、借主に過失があるかどうかとは別に、特約の内容と有効性で判断されます(特約の条件は後の「特約の有効性」の節を参照)。

判断が分かれるケース

判断に迷うケースもあります。

冷蔵庫下のサビ跡は、拭き掃除で落とせる程度なら通常の生活の範囲とされます。一方、サビを放置して床に汚損などの損害を与えた場合は、善管注意義務違反として借主の負担になり得ます。

下地ボードの張替えが必要な釘穴について、エアコン設置のためのビス穴は「通常の生活に必要な設備の設置」として、通常損耗と判断される傾向にあります。一方、重い棚を多数設置するためにビスを打った場合は、通常の使用を超えると判断されることがあります。

経過年数による負担割合の計算

借主負担が認められる場合でも、経過年数を考慮する部位では、設備などの経過年数に応じた減価分を差し引くのがガイドラインの考え方です。経過年数が分からないときは入居年数で代える方法も示されていますが、その場合も入居時点の状態に応じて計算の出発点を下げて考え、出発点は当事者が確認して決めるものとされています。

主要設備の耐用年数

設備・部位耐用年数考え方
クロス(壁紙)6年6年で残存価値1円
カーペット6年6年で残存価値1円
クッションフロア6年6年で残存価値1円
畳床6年6年で残存価値1円
エアコン6年6年で残存価値1円
畳表(表替え・裏返し)対象外経過年数は考慮しない
フローリング(部分補修)対象外経過年数は考慮しない
フローリング(全面張替え)建物の耐用年数RC造47年、鉄骨造19-34年、木造22年
鍵の紛失による交換対象外経過年数は考慮しない

「畳」でひとくくりにしないのが大事です。原文の別表2は畳表と畳床を分けており、表替えや裏返しは経過年数を考慮しない一方、畳床はカーペットやクッションフロアと同じ6年で残存価値1円として扱われます。見積書に「畳交換」とだけ書かれている場合は、表替えなのか畳床ごとの交換なのかを確認します。

計算例: 入居4年でクロス張替えが必要になった場合

条件: 入居時に張り替えたばかりのクロス(入居時の価値を100%とみなす)、張替え費用4万円、入居年数4年、耐用年数6年

残存価値 = 1 - (4年 / 6年) = 約33% 借主の負担額 = 4万円 x 33% = 約13,000円

入居時点ですでに年数が経ったクロスだった場合、原文はグラフの出発点を下げて考えるとしており、借主の負担はこの額より小さくなります。出発点をどこに置くかは、契約時に当事者で確認して決めておくものとされています。

クロスの経過年数が6年に達している場合(入居年数で代える場合も、入居時の状態を反映して計算します)、クロスという材料の価値について借主が負担する分は、ほとんど残りません。ただし次の項で見るとおり、故意・過失による損傷を元に戻すための工事費や人件費は、別に負担することがあります。

耐用年数を過ぎても負担が残ることがある

耐用年数を過ぎれば借主の負担がゼロになる、と理解されがちですが、原文はそこに明確な留保を置いています。

なお、経過年数を超えた設備等を含む賃借物件であっても、賃借人は善良な管理者として注意を払って使用する義務を負っていることは言うまでもなく、そのため、経過年数を超えた設備等であっても、修繕等の工事に伴う負担が必要となることがあり得ることを賃借人は留意する必要がある。

経過年数で下がるのは「張替え費用のうち借主が負担する割合」であって、善管注意義務そのものが消えるわけではありません。原文は具体例として、耐用年数を過ぎたクロスに借主が故意に落書きをした場合を挙げ、それを消すための工事費や人件費は借主の負担になることがある、としています。

実務では次の3つを分けて考えます。

  • 経過年数で下がるもの: 故意・過失などで借主負担になった張替え・交換の費用(クロスや設備など、経過年数を考慮する部位)
  • 経過年数で下がらないもの: 通常の清掃では落ちない汚れを除去するための特別な作業、鍵の紛失による交換、畳表・襖紙・障子紙の張替え、フローリングの部分補修
  • 年数にかかわらず負担が生じることがあるもの: 故意・過失で使用不能にしてしまった設備を、本来機能していた状態まで戻すための費用(どこまで負担するかは、損傷と工事の内容に応じて個別に判断されます)

通常の使用による傷みは、有効な特約による負担がある場合を除き、年数にかかわらず借主の負担ではありません。そのうえで「クロスが6年を過ぎているので払いません」という主張は、材料の価値については筋が通る一方、故意の破損まで免れるわけではない点には注意が必要です。逆に貸主・管理会社の側も、耐用年数を過ぎた材料の価値を借主に負担させる根拠にはできません。請求するなら、復旧に必要な工事費や人件費など、費目ごとに根拠を示すことになります。

経年劣化が適用されない項目に注意

畳表・襖紙・障子紙の張替えとフローリングの部分補修には、経過年数による減価が適用されません。原文は襖紙や障子紙、畳表を消耗品としての性格が強いものとしています。これらが借主の故意・過失などで補修の対象になった場合は、入居年数にかかわらず補修費用を負担することがあります。

ただし、損傷の原因が通常損耗に該当する場合は、有効な特約による負担がある場合を除き、借主負担にはなりません。

グレードアップ分は借主に請求できない

原状回復に伴って設備のグレードが上がる場合(通常品クロスからハイグレード品への張替え、古い設備の新品への交換など)、そのグレードアップ分の費用を借主に負担させることはできません。

ガイドラインでは、原状回復はあくまで「毀損部分の復旧」であり、改良工事(グレードアップ)は貸主の判断で行うものとされています。たとえば、借主の過失でクロスを汚損した場合、量産品クロスへの張替え費用は請求できますが、それを機にハイグレード品に張り替えた場合、差額は貸主の負担です。

見積書で見分けるときは、入居時に使われていた材料のグレードと、今回使う材料のグレードが同じかを確認します。品番や商品名が変わっている場合は、単価が上がっていないかを見ます。設備の交換でも同じで、故障した給湯器を上位機種に替えたなら、同等品との差額は借主に回せません。

どこまでの範囲を負担するのか(負担単位)

借主負担と決まっても、次に「どの範囲まで」という問題が残ります。1か所の傷で部屋全体の張替えを請求されるのか、傷のある部分だけなのか。原文の別表2は、部位ごとに負担単位を定めています。

部位負担単位経過年数
畳原則1枚単位(複数枚なら枚数分)畳表は考慮しない/畳床は6年
カーペット・クッションフロア毀損が複数箇所なら居室全体6年で残存価値1円
フローリング原則㎡単位(複数箇所なら居室全体)部分補修は考慮しない
壁(クロス)㎡単位が望ましいが、毀損箇所を含む一面分までは可6年で残存価値1円
タバコのヤニ・臭い居室全体が変色・臭いが付着した場合のみ居室全体6年で残存価値1円
襖・障子1枚単位襖紙・障子紙は考慮しない
柱1本単位原則考慮しない(考慮する場合は建物の耐用年数で残存価値1円とする)
設備機器補修部分または交換相当費用耐用年数経過時に残存価値1円
鍵紛失の場合はシリンダー交換を含む考慮しない
クリーニング部位ごと、または住戸全体考慮しない

負担単位の考え方がよく表れるのがクロスです。原文は㎡単位を望ましいとしつつ、毀損箇所を含む一面分までは借主負担としてもやむをえないとしています。つまり、壁1面の張替えまでは根拠がありますが、傷が1面にしかないのに部屋の4面すべてを請求するのは、この基準を超えています。

タバコの扱いも誤解されがちです。原文が居室全体のクリーニングまたは張替えを借主負担として妥当としているのは、居室全体でクロスが変色したり臭いが付着した場合のみです。部分的なヤニを理由に全体を請求する根拠にはなりません。

クリーニングは経過年数を考慮しません。有効なクリーニング特約がない場合、借主負担になるのは通常の清掃を実施していない場合です。退去時に一定の清掃をしていれば、次の入居者のための美装は貸主の負担です。

特約の有効性|ガイドラインより不利な条件でも有効か

賃貸契約書には「退去時のハウスクリーニング費用は借主負担とする」といった特約が記載されていることがあります。この特約はガイドラインの原則より借主に不利な内容ですが、一定の条件を満たせば有効とされます。

特約が有効になる3つの条件

最高裁判例(平成17年12月16日)を踏まえると、特約が有効と認められるには以下の3条件が必要です。

  1. 特約の必要性があり、暴利的でないなど客観的・合理的な理由が存在すること
  2. 借主が特約によって通常の原状回復義務を超えた修繕義務を負うことを認識していること
  3. 借主が特約による義務負担の意思表示をしていること

ハウスクリーニング特約も、金額の記載や署名があるだけで有効と決まるわけではありません。負担する内容と範囲が具体的に示されていたか、通常損耗まで借主が負担する趣旨を認識して合意したか、金額が妥当かを含めて個別に判断されます。

無効と判断されやすい特約

一方、以下のような特約は消費者契約法第10条により無効と判断される可能性があります。

  • 「退去時に壁紙を全面張替えする(経年劣化を含む)」 — 通常損耗を一律に借主負担とする内容
  • 「原状回復費用は一切借主が負担する」 — 範囲が過度に広範
  • 負担する範囲や金額の目安が示されていないハウスクリーニング特約 — 借主が負担の内容を具体的に認識できない

特約の内容に疑問がある場合は、契約前に具体的な説明を求めてください。契約後であっても、特約の有効性を争うことは可能です。

東京都の「東京ルール」|国のガイドラインとの違い

東京都内の賃貸住宅では、国交省ガイドラインに加えて「東京ルール」も確認対象になります。正式には「東京における住宅の賃貸借に係る紛争の防止に関する条例」に基づく仕組みで、都内の居住用賃貸住宅を宅地建物取引業者が媒介・代理する新規契約について、契約前に書面を交付して説明する義務を課しています(借りる側が宅地建物取引業者の場合は書面の交付のみで説明は不要。借主が希望する場合などは、電子メールなど電磁的方法での提供もできます)。都外の業者が都内の物件を扱う場合も対象で、事業用物件と更新契約は対象外です。

説明義務の中心は、退去時の原状回復と入居中の修繕に関する費用負担です。通常損耗や経年劣化を誰が負担するのか、借主の故意・過失による損傷はどこまで借主負担になるのかを、契約時点で明らかにする必要があります。契約にハウスクリーニング費、鍵交換費、原状回復費の特約がある場合は、その内容も説明対象です。

国交省ガイドラインは、費用負担を判断するための全国的な指針です。一方、東京ルールは、都内の居住用賃貸住宅の新規契約を媒介・代理する宅建業者(都外の業者を含む)に対する説明手続きの義務です。両者は「判断基準」と「説明義務」という性格が異なります。

都内物件を借りる場合は、重要事項説明や契約前の書面で、原状回復負担と修繕負担の説明を受けたかを確認してください。説明が曖昧なまま契約すると、退去時に「聞いていない」費用が争点になりやすくなります。説明書面は契約書と一緒に保管しておくと、精算内容を確認するときの根拠になります。

出典: 東京都住宅政策本部「賃貸住宅トラブル防止ガイドライン」 https://www.juutakuseisaku.metro.tokyo.lg.jp/fudosan/tintai/310-3/guidelines

入居時・退去時の証拠保全

トラブルを防ぐためには、入居時と退去時の物件の状態を記録として残しておくことが有効です。

入居時にやるべきこと

入居直後に、室内の状態を写真で記録しておいてください。壁、床、天井、水回り、設備について、傷や汚れがある箇所を撮影します。撮影日が分かるように、日付入りで撮影するか、撮影日のメモを残しておきます。

入居時チェックシート(管理会社が用意している場合が多い)に既存の傷や汚れを記入し、管理会社に提出・控えを保管しておくことも重要です。管理会社向けの立会い手順は退去立会いチェックリストで解説しています。

退去時にやるべきこと

退去立会いの前に、荷物搬出後の室内状態を写真に記録します。立会い時に指摘された損傷箇所についても撮影しておくと、後日の交渉や相談時に証拠になります。

立会い時に確認書への署名を求められることがあります。原文のQ&Aは、損傷があることを確認しただけの署名は費用負担を了承したものとは限らないとしつつ、疑問があれば質問するなど十分慎重に確認するよう求めています。内容に納得できない場合は、その場での署名を保留し、控えや写真の提供を求めるとよいでしょう。

173ページの原文は、どこを読めばよいか

ガイドラインの原文はPDFで公開されています。PDFで173ページ(冊子のページ番号は169まで)ありますが、全部読む必要はありません。見積書や契約書を確認するときに役立つのは、主に次の場所です。

173ページのどこを読むか 冒頭 本ガイドラインのポイント 3項目。ここだけで骨格が分かる p.17 別表1 損耗・毀損の事例区分 部位別の一覧。通常・一般的な例示 p.22 別表2 原状回復義務等負担一覧表 見積書の負担区分を確認するときに使う p.25/28 別表3・4 契約書と精算の様式 条件の様式はp.25、精算明細はp.28 p.37 Q&A 個別の疑問はここで引く p.49 判例の動向 事例1〜42はp.60から。争点と結論が読める
ページ番号は再改訂版(平成23年8月)の冊子に印刷された番号で、PDFビューアの表示ページとはずれる。図中の別表名は略称で、正式名称は別表1「損耗・毀損の事例区分(部位別)一覧表(通常、一般的な例示)」、別表2「賃借人の原状回復義務等負担一覧表」、別表3「契約書に添付する原状回復の条件に関する様式」、別表4「原状回復の精算明細等に関する様式」。

最初に読むべきは冒頭の「本ガイドラインのポイント」です。3項目しかありませんが、原状回復は「借りた当時の状態に戻すものではない」という定義がここで明示されています。交渉の場で相手の前提がずれているとき、まずここを示すと話が早く進みます。

見積書の負担区分を確かめるときに開くのが別表2(p.22)です。部位ごとに、誰がどこまで負担するか、経過年数を考慮するかしないかが一覧になっています。見積書の項目と突き合わせるときは、この表を横に置きます。

契約書に原状回復の条件を添付したい場合は別表3(p.25)、退去時の精算明細を作る場合は別表4(p.28)が様式の例として使えます。自社で一から様式を作る前に、この2つを見ておくと手間が減ります。

判断が割れる論点に当たったときは、第3章の判例の動向(p.49〜、事例1〜42はp.60〜)を引きます。事案の内容と争点になった部位、裁判所の判断がまとまっているので、「同じような事案でどう判断されたか」を確認できます。

話がまとまらないときの進め方

原文は第2章(p.33〜)で、トラブルを解決する制度そのものを扱っています。まず利用しやすい相談先と、話し合いで決まらない場合の手続きを順に見ていきます。

まず相談する窓口

  • 消費生活センター(局番なし188)。消費生活に関する相談を受け付けており、内容によってはあっせんに入ってもらえる場合があります
  • 法テラス・サポートダイヤル(0570-078374)。相談窓口や法制度を案内してもらえます。収入や資産が一定の基準以下などの条件を満たす場合は、審査を経て、弁護士・司法書士による無料法律相談や費用の立替制度を使えることがあります
  • 自治体が設けている住宅・不動産の相談窓口(設置の有無や受付内容は自治体ごとに確認してください)
  • 業界団体の相談窓口(受付の有無や対象は団体ごとに確認してください)

窓口に相談するときは、見積書・契約書・入居時と退去時の写真をそろえてから行きます。ガイドラインのどの記載と食い違うのかを示せると、話が具体的になります。

裁判外の手続き(調停・仲裁)

原文は裁判外紛争処理制度として、調停(相談・あっせん)と仲裁を挙げています。調停は第三者が間に入って話し合いをまとめる手続きで、判決のように白黒をつけるのではなく、双方が納得できる着地点を探します。仲裁は当事者が仲裁人の判断に従うことをあらかじめ合意しておく手続きです。

民事調停の概要は原文の資料4(p.125)にまとまっています。白黒をつけるより、話し合いで着地点を探したい場合に向きます。

少額訴訟

60万円以下の金銭請求であれば、簡易裁判所の少額訴訟が使えます。原則として1回の審理での解決を目指す手続きで、原文では資料3(p.123)で解説されています。ただし、相手方の申立てや事案の複雑さによって通常の訴訟に移ることがあり、同じ簡易裁判所での利用は1人年10回までです(裁判所「少額訴訟」)。手続きの流れと必要書類は少額訴訟で退去費用を争う手順にまとめています。

高額な請求を受けて交渉する段階の進め方は退去費用が高額で納得できないときの対応も参考にしてください。

管理会社が業務に落とすときの手順

退去費用をめぐるトラブルは、管理業務の中でも時間と労力を消耗します。ガイドラインに準拠した算定を標準化しておくと、入居者への説明が早く終わり、オーナーにも根拠を示せます。

原文には様式の例が載っているので、自社で一から作らずに済みます。契約から精算までを1本の流れにすると次のようになります。

  1. 契約時: 原状回復の条件を別表3(p.25)の様式で契約書に添付し、負担区分と特約の内容を書面で示す
  2. 入居時: チェックシートで既存の傷を記録し、写真を撮って双方で保管する。ここで残した記録が、退去時に「入居前からあった傷か」を判断するときの重要な証拠になる
  3. 退去立会い: 損耗ごとに、部位・状態・原因を記録する。写真は全体と近接をセットで撮る
  4. 区分: 別表2(p.22)に当てはめて、貸主負担か借主負担か、経過年数を考慮するかを決める
  5. 精算: 別表4(p.28)の様式を参考に、部位・単価・数量・負担割合・借主負担額が追える明細を作る

この流れで最も効くのは2番です。入居時の記録が無いと、退去時にどれだけ丁寧に立ち会っても「元からあった傷かどうか」の立証が難しくなり、話し合いで決めることになりやすくなります。ほかの写真や修繕の記録、当事者の説明も判断材料になりますが、入居時の記録があればその分だけ判断が早く進みます。

精算書の具体的な書き方は敷金精算書の作成ガイドにまとめています。オーナーへの説明では、金額そのものより「どの基準で、どう計算したか」を示せることが信頼につながります。

まとめ

国交省ガイドラインの要点は3つです。

普通に住んでいて生じた傷み(通常損耗・経年劣化)は貸主負担。借主の故意・過失による損傷は借主負担だが、経過年数を考慮する部位では経過年数に応じて負担割合が下がる。特約でガイドラインと異なる取り決めをすることは可能だが、有効になるには条件があります。

2020年の民法改正により、通常損耗が借主の原状回復義務に含まれないことが民法の条文に明記されました。ガイドライン自体に拘束力はありませんが、その中心となる考え方は民法の条文でも示されています。

次に確認すること

借主の立場なら、まず手元の見積書を早わかり表と別表2に当ててみます。貸主負担の項目が混ざっていないか、経過年数が考慮されているか、負担の範囲が部位や損傷の状況に応じた負担単位を超えていないかの3点です。たとえばクロスの局所的な毀損なら、原則は毀損箇所を含む一面分までです(タバコのヤニや臭いが居室全体に及ぶ場合などは、居室全体が対象になり得ます)。金額の根拠が示されないまま話が進まない場合は、退去費用が高額で納得できないときの対応の手順に沿って、書面で内訳を求めます。

管理会社・オーナーの立場なら、契約書に添付している原状回復の条件が別表3の水準を満たしているかを見直します。条件が曖昧なまま運用していると、退去のたびに個別交渉になります。部位別の単価の考え方は原状回復費用の相場、精算書の作り方は敷金精算書の作成ガイドを参照してください。

いずれの立場でも、判断が割れたときに戻る場所は同じです。まず原文の別表2と第3章の判例に当たり、そのうえで契約書の内容と実際の損耗の状況を突き合わせます。

退去時の費用に疑問がある場合は、ガイドラインの原則に照らして見積もりを確認してみてください。費用の根拠を管理会社に尋ねることは、入居者の正当な権利です。


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出典・参考文献

よくある質問

国交省の原状回復ガイドラインとは何ですか?
正式名称は「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」です。賃貸住宅の退去時に敷金や修繕費をめぐるトラブルを防ぐため、当時の建設省が不動産適正取引推進機構に委託した調査の中で、調査委員会が1998年に取りまとめて公表し、国土交通省が2004年と2011年に改訂した費用負担の一般的な基準です。
原状回復ガイドラインに法的拘束力はありますか?
ガイドライン自体に法的拘束力はありません。近時の裁判例や取引の実務を考慮してまとめられた一般的な基準で、退去費用を確認するときの重要な参照資料ですが、最終的には契約内容や物件の使用状況に応じて個別に判断されます。
ガイドラインでは損耗をどのように区分しますか?
契約に有効な特約がない場合の基本は、通常損耗・経年劣化は貸主負担、故意・過失・善管注意義務違反や通常使用を超える損耗は借主負担です。壁紙の日焼けや家具の設置跡は貸主負担、タバコのヤニ、ペット傷、結露放置によるカビなどは借主負担になりやすい項目です。
主要部位の耐用年数は何年ですか?
ガイドライン上の目安では、クロス、カーペット、クッションフロア、エアコンはいずれも6年で残存価値1円と考えます。フローリング全面張替えは建物の耐用年数に準じ、木造22年、鉄骨造19〜34年、RC造47年が目安です。
経過年数が考慮されない部位はありますか?
畳表・襖紙・障子紙の張替えと、フローリングの部分補修は、経過年数を考慮しない項目とされています。借主の故意・過失などで補修が必要になった場合は、入居年数による減額がないまま補修費用を負担することがあります。通常損耗であれば、有効な特約による負担がある場合を除き、借主の負担にはなりません。

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国交省ガイドラインの負担区分と、部位別の単価の目安をまとめています。見積書と照らし合わせると、確認すべき点が絞れます。

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